2013年 09月 04日
travel to Fukushima #4 |
「ダヤヤンが、旅行の話ばっかり長々とスミマセン。
いいかげん私たちの話にしたほうが、読んでるかたたちもうれしいはず。
でも、まあ、真夏は私たちもたいしたことしてませんので、
写真も話題もないのですが」
暑さでバテバテのAbby様。
たいしたことどころか、ほとんど動かないよね。
↓家の中で行き倒れ中。
なんだか目がイッちゃってませんか? 暑さのせい?
家のみならず、毎日散歩で行く公園でも横になったまままったく動かないので、
密かに犬山(←T堂●●公園にある知る人ぞ知る名山)では
公園のエアーズロックと呼ばれている。
↓動かざること、岩のごとし。
というわけで、福島旅行(付き合ってくださってありがとう!
お待ちかねの?)最終回です。
そう、掉尾を飾るのは、会津が誇るすばらしい藩校「日新館」!!
ですが・・・
ここが・・・すばらしいが、オソロシイほど遠い!!
しかもバスもほとんど通ってない!!
車のない私たちはどうすりゃいいの? という感じですが、
どうしても行きたかったので、タクシーで。
しかし、メーターが上がる上がる・・ほんとうに遠かった・・・
なんでこんなところに造ったんだ!?
当時はお城の西隣にあったのだが、まあ、お城の隣はムリでも
ほかにも市街近郊にたくさん土地はあるのに、なぜここ? という場所であった。
しかし行ってよかったよ。
いやほんと、立派できれいな学校でした(昭和62年に再建したものですが)。
こんな学校で藩士教育していたなら、
それなりの人物が育つのは当然かも・・と思いました。
会津出身者が明治時代は教育関係で活躍したのもさもありなん、
ですね(政府や軍の要職に就くのは難しかったから、とも言われてますが)。
まず、立派な獅子のお出迎え。
狛犬はAbbyに似てるが、獅子は似てないな。
その手前には、おなじみの「什の掟」が。
この南門が入口。
正面に見える「戟門」。立派です。
こちらは大成殿。
戟門と大成殿を四角くつなぐように、教場があります。
写真は省きますが、行ってみてください。
私はここで授業が受けたかったです。
頭に知識が浸透するだろうなあ、と思われるような洗練された学校です。
なんとこの池で鎧甲を身につけて泳ぐ練習までしていたそう。
まさに、文武両道の強い武士養成所。
天体観測までしていたという、天文台から見た
日新館の(ほぼ)全貌・・。本当に広くてきれいだったよ。
遠くに見える観音様は「会津村」(←どんなところかよくわからないが)にある観音様だそうです。
会津といえば、磐梯山。
この天文台からは磐梯山もとてもよく見えました。
それにしても、ここで「あんつぁま」も尚之助様も教鞭を執っていたいたのね、
と長谷川博●様の顔を思い浮かべると
(←すっかり信者に・・・)なんだか本当に感慨深いものが・・・。
ところで、会津戦争後から消息がよくわからなかったがゆえに
いろいろ誤解を受けていた八重の最初の夫・川崎尚之助は、
なんと「八重の桜」の放映が決まったあとに
いろいろ史実が判明して、このドラマで、まさに、あらためてその人となりや
生涯をクローズアップされ、あらぬ誤解を解かれたという人でした。
八重さんと同様ににこのドラマによって脚光を浴びた人でもあるのです。
すぐれた才能とすばらしい人柄を持っていながら
悲しい最期を送った人だったようです。
遅すぎる気もするが、
本当のことがわかってほんとよかったですね。
こういう意味でもこのドラマはすばらしい。
ってわけで、日新館から最終のバスで会津若松までかろうじて帰って来られた私たち。
↓見てください、このバスの本数の少なさ。
私たちが乗ったのが終バスだったよ(5時台なのに)・・・。
乗り遅れたら、どうなっていただろうか? と考えるとコワイ・・
ってくらい遠いところにありました。
しかも乗客が私たち二人だけ。
ってわけで運転手さんとおしゃべりしながら帰ってきました。
時間がなくて、柳津町の斎藤清美術館には行けなかったのですが、
会津市内のギャラリーで堪能してきました。
東山温泉の宿にもたくさん飾ってありました。
最期に(自分で買ったわけではないので、ホテルにあった)
会津の名産品・あかべこと、起き上がり小法師で、バイバイキ〜〜〜ン!!
4回にもわたるご愛読、ありがとうございました。
え? 愛読していたわけではない?
そうだなし〜〜〜
失礼しました。
by seaside-mono-dogs
| 2013-09-04 21:21
| 旅行